何でもないこと




いつもと・・・変わりはなかった――

その時は・・・ただ、そう思った。




「おはよう、弦一郎」

いつもの時間。

いつもの電車。

そして・・・いつもと変わらない愛しい人の姿。

「おはよう、蓮ニ」

真田は少しだけ笑みをこぼして、挨拶を返した。

ただ・・・共にいる時間。

隣にいて・・・同じ空気を感じて。

そんなごく当たり前な日常だったのに・・・。

放課後。部活でのこと。

仁王がおかしなことを言った。

「参謀・・・変じゃな・・・」

人間、そういわれると不思議とそう見えてくるようで。

丸井とシングルスをしている柳をその場にいない赤也と幸村を除くレギュラー陣たちは一斉にみつめた。

テニスのキレがどことなく、悪い・・・気がする。

何か、表情も元気がなく、険しい。

「確かに、そう見えなくはありませんが・・・」

柳生が微妙な表情で言う。

「俺にはわからないが・・・変といえば、そう見えるな・・・」

続けて、ジャッカルが声に出す。

ただ、一人だけ。

真田は未だにじっと柳に視線を向けていた。

「・・・真田もわからん?」

仁王の言葉に真田は何もいわないまま、苦い顔をしていた。




「蓮ニ」

毎日、一緒に帰る真田と柳。

仁王の言葉が気になって、真田はあれから部活に身が入らなかった。

柳は返事をする代わりに顔を真田に向けた。

いつもと変わらない顔。

表情。

一体、何が変だというのか。

それとも、自分には気づかずに仁王には気づく『何か』があるのか。

真田は仁王に嫉妬していた。

その『何か』が今だに分らない自分自身への怒り。

仁王よりも真田の方が柳と一緒にいる時間が長いというのに・・・。

「練習中に仁王がお前の様子が変だといったんだ。何かあったのか?」

「・・・・・・」

柳は無言のまま。二人の間に気まずい雰囲気が漂う。

「話したくなければ、別に無理にとは・・・いわんが・・・心配でな・・・」

駅までの道のりの間、終始二人に会話がなかった。

電車を待つ駅のホームで、柳はポツンといった。

「心配性だな、弦一郎は。ただ・・・考え事が多くなっただけだ・・・」

電車に乗り、柳が電車を降りるときに笑みを浮かべて

「弦一郎・・・また明日・・・」

その笑顔とその言葉が何故か、真田の耳の奥と脳裏から離れなかった。




次の日。

朝から一つのメールが真田の携帯に入った。柳からだった。

『弦一郎、おはよう。朝からメールをしてすまなかった。本当はお前の声を聞きたかったのだが・・・じゃぁ、また。』


「・・・蓮ニ?」

その文面に何か違和感があることに真田は気がついたが、それが何なのか形にはならなかった。

ただ、柳らしくない。そう感じた。

真田は急いで制服に着替えると、家を飛び出した。

母の声が後ろから聞こえたが、今はそれどころではなかった。

駅まで道を走る。そんなに遠い距離ではない。

電車に乗って隣の駅へ・・・柳の家に向かう。

たかが、メールの文面。何故か、真田は不安になった。

柳が遠くに行ってしまう。そんな思いが真田の心に広がった。

――蓮ニ・・・俺を残して遠くへ行かないでくれっ!――

目の前に柳の家が見える。

夢中で走った。

ふと、白い服が目に入った。

あの背格好。あの後ろ姿。

「蓮ニっ!」

無意識で名を呼んでいた。

「げ・・・弦一郎・・・」

その白い影が振り向き、真田は彼を柳と判別したとき、真田はその場に崩れた。

崩れた真田を柳は抱きかかえた。

「弦一郎・・・どうして・・・ここに?」

驚きと悲しさが交差する顔をしながら柳はそう、つぶやいた。

「もうあんなメールは出すな・・・蓮ニ」


苦笑いをこぼし、そういった真田だったが、まだ肩で息をしていた。

「・・・弦一郎・・・すまない。俺は・・・不安だったんだ。俺は・・・お前のお荷物なんじゃないかって・・・・」

柳と真田はお互いに好き合い、恋人として付き合っていた。

いつか、袂を分かつ道を往くまで・・・同じ道を行きたいと思っていた。

それでも・・・真田のことを思うと、柳は不安になってしまう。

自分の存在自体が、彼のテニスプレイヤーとしての道を閉ざしているのではないかと。

「蓮ニ・・・誰がなんと言おうと、俺はお前に側に居て欲しい・・・それだけだ」

真田は柳の背中に腕を回し、そっと柳の唇と己のそれと重ねた。

暖かい・・・温もり。

柳は真田の気持ちに答えるように彼の背中に腕を回した。

「弦一郎・・・ありがとう・・・俺は・・・お前の隣にいて・・・いいんだな・・・」

「あぁ・・・お前しか・・・俺の隣は務まらんからな・・・」

二人はそっと再び口付けを交わした。




「だから、どうしてあんな家の前であんなことをするんだ?バレたら困るだろう」

柳は気にせずにしれっと言った。

朝の柳の家の前でのキス。

柳の家族にはバレていないことを祈る真田だった。



――好きな人のそばにいられる喜び。たったそれだけなのに・・・大事なことだと気づいた・・・日――